黒澤明が描く人間・社会原理の矛盾とエゴ「羅生門」
先日(1月のことだが)、黒澤明監督の「羅生門」のデジタルリマスター版が世界で初めて公開されたのを機に、新宿角川シネマ(伊勢丹前)まで見に行った。
「羅生門」といえば、芥川龍之介の短編小説「藪の中」を中心に、「羅生門」からも一部内容を取り入れ、1951年のベネチア映画祭でグランプリとなる金熊賞を受賞した世界的な傑作の1つだ。ウィキペディアなどによると、「羅生門」で採用された複数の視点を同時進行・回想させて1つの「物語」を構成するという手法は、当時画期的なものであり、その後の映画製作に大きな影響を与えたとか。
デジタル技術で復活した「羅生門」
今回のデジタルリマスターは、総計で12万以上となる「羅生門」のコマを、現存する素材の中で最も状態の良い'62年の上映用プリントと、角川映画が保存していたマスターポジという2つの素材の状態の良い部分を選択し、ハリウッドの最新デジタル技術で修復・再構築した。
オフィシャルホームページに掲載されていた写真を拝借するが、
こうやって並べてみると確かにその画質のクリアさは歴然としている。そもそも論として、画質の悪さも含めて「黒澤映画」だという盲信的な解釈を主張する意見もあると思うが(撮影技術という物理的制約を時代的背景として受け止めるという考え方)、現代の撮影技術によって製作された映画に慣れた目や耳からすると、現在、残されている黒澤映画の画質や音声のクオリティは決して良いものとはいえない。それが今回のリマスターにより、画質の面では、大きく改善された。音声に関しては相変わらずだったが。
これは映画ファンにとって、単純にうれしく、大きなエポックである。
エゴイズムが渦巻く人間・社会の縮図
と、うんちくを垂れてしまいましたが、実際に映画を見たら、そんなことは忘れてしまいます。
レンタルを含め、今回が3回目の視聴でしたが、「羅生門」の中で、黒澤明が描く真実は、人間性、社会原理、文化・慣習といった常識(コモンセンス)が抱える大いなる矛盾(=エゴイズム)であり、それがいかに浅はかな認識の上に形成され、自己保身のために利用されているのかを指摘している。
映画の中では、主人公の盗賊・多襄丸(三船敏郎)、武士(森雅之)、武士の妻(京マチ子)、それぞれがある“出来事”を回想するが、その顛末は各人とも異なる。結末で、物語の語り役である杣売り(志村喬)により本当の事実は明らかにされるが、なぜ各人が事実を捻じ曲げ、物語を仮構しているのか?
ひとえに自己保身のためで、それゆえの作られた強さ(虚勢)とそこから滲み出る脆さが同居した人間や社会の矛盾を浮かび上がらせている(この虚勢に隠れた脆さ・弱さを、三船敏郎はホントに巧みに演じています)。その矛盾に気付き、人間不信に陥るのが旅法師であり、その矛盾を肯定的に受け入れ、自らのエゴイズムを極限まで発揮するのが下人となっている。
そして、その矛盾を指摘し、人間の無様さに対して激しい怒りを示すのが、実は京マチ子である。この京マチ子の迫真の演技。まさに必見です。エゴイズムが渦巻く人間・社会の縮図がここにあります。
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